ひととしての未熟さが病気を引き起こす
おはようございます。
子どもの成長を見ている中で、本当にそっくりだという病気2つを紹介します。これまでも繰り返しお話してきた「発達障害」と「パーソナリティ障害」です。
小1の子どもを見ていると発達障害とパーソナリティ障害そのもの
私は6歳女の子と1歳男の子がいますが、特に上の子を見ていると本当に外来や産業医面談で見る患者さん、社員の方にそっくりなんです。
・【パーソナリティ障害傾向】 自分の嫌なことがあるとすぐに感情があふれる
・【ADHD傾向】 やろうと思った途中で違うことを始める
・【自閉症スペクトラム傾向】 中年男性に対して「臭い」と指をさす
これら3つに共通するのは、バランスが悪いんです。パーソナリティ障害であれば、「感情」。ADHDであれば、「時間」、自閉症スペクトラムであれば、「場の空気」というのがキーワードです。
うちの子がいつもそうかというわけではないんですが、これらの要素ありますよね。
パーソナリティ障害も以前の記事で紹介したとおり…
362名の境界性パーソナリティ障害(女性77%)で10年経過すると急性の症状や気分に関する症状が50%近く良くなる
バランスの悪さを「未熟性」とも呼ぶわけです。
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この文部科学省のページで発達段階で獲得するべき要素について記載があります。それぞれ社会で生きていく上で不可欠な要素になります。
- 小学校低学年
集団や社会のルールを守る態度など、善悪の判断や規範意識の基礎の形成
自然や美しいものに感動する心などの育成
- 小学校高学年
抽象的な思考の次元への適応や他者の視点に対する理解
自己肯定感の育成、自他の尊重の意識や他者への思いやりなどの涵養
集団における役割の自覚や主体的な責任意識の育成
- 中学校
自らの個性や適性を探求する経験を通して、自己を見つめ、自らの課題と正面から向き合う、社会の一員として他者と協力し、自立した生活を営む力の育成
- 高等学校
人間としての在り方生き方を踏まえ、自らの個性・適性を伸ばしつつ、生き方について考え、主体的な選択と進路の決定、社会の一員としての自覚を持った行動
小学校低学年でルールを覚え、高学年で自己肯定感と集団的素養、中学校で課題と向き合い、周りと協力し、高校生でさらに方向性を決めていくということなんですよね。そうすると発達障害やパーソナリティ障害の発生場所というのは、小学校ということになります。
発達障害もパーソナリティ障害も環境による原因も多い
パーソナリティ障害が、母親との関係であったり、教育環境であったり、もちろん関係なくということはよく知られていますが、発達障害もこのような後天的な要因が指摘されるようになっています。
くれぐれも言いますが、もちろん生まれながらにして発達障害というケースも多くありますので、今回お話するのはあくまでも後天的な要因で発生するものと考えて下さい。
たとえば、ADHDは以前8割の遺伝率があると言われていましたが、最近の研究では6割にまで低下しています。成人ADHDでは、遺伝要因は3割と言われています。
自閉症スペクトラムも同様で、スタンフォード大学が実施した双生児研究によれば、遺伝率は4割以下と報告されています。しかも環境要因によって説明できるのが半分以上という驚くべきことを発表しています。
環境要因というと育ってきた環境ということになってしまいます。父親や母親をこれだけで責めるものではありません。彼らも苦しみながら自分たちに出来るコトをやった結果なのですから。
発達障害もパーソナリティ障害も社会に出て始めて苦しむ
この発達障害もパーソナリティ障害の要素があったとしても実は高校、大学まではそれほど悩みません。理由は、簡単です。高校や大学までは、そのひとの感情や理屈で全て通るからです。嫌だったら授業でなければ良い、環境が合わないなら行かなければ良い、自分にあったところに行けば良いということになるからです。
しかし働き出すと状況は一変します。
特に、コミュニケーションが取れない場合には致命的となります。1人でシゴトのできるようなものはごくごく限られているからです。ひとと協働してシゴトをしないと生きていけないのです。
だから大学までは有名校で勉強ができたとしても社会で通用しないというのはそういうことなんですよね〜。
ひとは大人になっていくと成熟性を獲得していくもの
「人間の未熟性と成熟性」とはどんなものでしょうか。
学問的ではないですが、多くのひとを見てきた中で、私が考える成熟性とは、「状況によってグレーゾーンを微細に変えることの出来る柔軟性」のことです。
もちろんどんなときでも自分を貫くことをしますということでも良いのですが、当然それは強く反発される覚悟をもってやるもので、何で反発されるんだろうという??だと苦しいのです。
グレーゾーンを状況に応じて変えるというのは、言い換えると「ここだけは譲れない」白と黒がある程度はっきりしているということでもあります。この「ここだけは譲れない」部分がないひとは、依存症になりやすくなります。
お酒、タバコ、不特定多数のセックスといった依存にある方は、「ここだけは譲れない」という部分が特定のものに関してなくなってしまっているのです。だから自分の意図とは異なる働き方として風俗をして、彼氏とケンカするということが発生してしまうのです。
このフレキシブルなグレーゾーンを持つことで、非常に社会的に、組織的に生きやすくなります。またこの部分は、社会において試行錯誤をして自分のアイデンティティとともに作り上げていくものなのです。従ってより周りに配慮する必要はなく、まずは自分らしさを全面に出すことが自分にとって良いというのであれば、それはそれで良いのです。あくまでもそのひとの生き方なのですから。
しかし、グレーゾーンが狭ければ狭いほど、社会では生きにくくなります。ぶつかりますので。
まとめると
① フレキシブルなグレーゾーンをもつこと
② ここだけは譲れないゾーンをもつこと
③ 自分らしさを考えること
この3つを融合していく作業がまさに成熟していく過程なのです。
最後に
何でもそうだと思いますが、バランスって大切だと思います。あまりにも悪い方向へとんがりすぎるとそれはそれで今の社会生きにくいのです。もちろん将来はわかりません。その時代に求められているバランスがありますので。
未熟性は、言い換えると成熟化できることでもあります。うちの1歳の子がどのように成長するのか約束は出来ませんが、着実にやって良いこといけないことを覚えて、日に日に成長していることを実感しております。たまたま発達障害やパーソナリティ障害のひとは、そのような状況になかったわけです。
社会が彼らを成熟させていくことはやはり必要なのだと思っています。